A R&R Perspective
(日々のロックな雑感)

前から観たかった「ランナウェーズ」のDVDをやっと借りて来て観る事が出来た。ランナウェーズといっても知らない人が多いかも知れないが、ここ日本で70年代の一時期絶大な人気を誇ったアメリカのガールズ・ロックバンドのことだ。彼女たちの前にスージー・クアトロというベースを弾きながら唄うガールロッカーがいたが、女だけのバンドというのは彼女たちが初めてだった。
ボーカルのチェリー・キューリーはまだ10代であったのにも拘わらずペチコート姿でステージに立って唄うという大胆さで度肝を抜いた。つまり音楽的には突出したものはなかったが、社会の不適格者、不良の音楽を若い女の子たちがやったことに皆が大喝采したわけだ。下手すれば色物扱いになってしまうのをギターのジョーン・ジェットが必死に音楽的に展開しようしたが、思うように行かずバンドは3年も持たず空中分解してしまう。メンバーの内、チェリー・キューリー、ジョーン・ジェット、リタ・フォードの三人はソロ活動へと歩んで行く。
ソロ活動で成功したのはジョーン・ジェットで、ブラックハーツというバンドを率いて「アイ・ラヴ・ロックンロール」を世界的にヒットさせた。そして彼女は未だにブラックハーツで活動している現役である。チェリー・キューリーは音楽活動から足を洗って心療介護師をやっているというし、解散後アルバムを出していたリタ・フォードは、その後どうなったのか音沙汰ない。
チェリー・キューリーを名子役だったダコタ・ファニングが成長した姿で演じているのが話題になったようだ。映画はジョーン・ジェットの視点で描かれており本人が実際映画の製作に関わっていた。驚いたことにジョーン・ジェットを演じたのは、トワィライト・サーガのヴァンパイアシリーズで主役の一人だったクリステン・スチュワートだったことだ。この映画で彼女の演技は素晴らしい。今は女だけのバンドなんて珍しくもなんともないが、70年代のロックシーンでの女のバンドが受ける辛酸なんかも良く描かれていたと思う。
アメリカのロック・レジェンドに対する想いって凄いっていつも思う。それだけロックが日本に比べても身近なんだ。例えば日本でブルーハーツやサザンオールスターズの伝記映画が作られることはあるのか?歌謡曲主体の日本ではまだまだ無理なんだろうな。(2/7/12)


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11/24/11track back

エロがレコードを売る?

wet willie

commodores

ween

同じ構図のエロっぽいレコードジャケットを並べてみました。男のスケベ心をくすぐった売らんがための商魂丸見えです。
でもジャケットだけじゃなくて中身の音楽も素晴らしいものがあるからジャケット買いは止められません(笑)。


11/12/09track back

先日ロックの放送が公に禁止されていた頃のイギリスの海賊放送局を題材にした映画、パイレーツロック(原題The Boat That Rocked)を観てきた。音楽雑誌等でも取り上げられて話題になっていたし、そもそも60年代のある時期イギリスでロックを流すラジオ局がBBC以外になかったことさえ知らなかった。
ロックの放送が禁止されているのなら公海上の船の上からだったら問題ないだろうと、法律の網をくぐった海賊放送局を作ったわけだ。だからパイレーツという。実際はパイレーツ・ラジオステーションのことだ。
ストリーは素行不良で学校を追い出された10代の若者が船にやってくることから始まる。船にはレスビアンの料理係以外女はいない。長い航海生活の中で唯一の楽しみは時々船に乗り込んでくる女たちとのドラッグなしのセックス&ロックンロール、そして船を潰そうとする当局との攻防戦が平行して続いて行くのだ。
正直なところ商売柄ストリーよりもどんな曲が掛かるかが興味津々だった。始まって直ぐキンクスの「オールディ・アンド・オール・オブ・ザナイト」が掛かった時は嬉しくなった。キンクスはその他「サニーアフタヌーン」も掛かっていた。昔横浜のHMVでXTCのアンディ・パーリッジのサイン会が催された際に「ビートルズが好きですか?」と訊いたら、"Kinks is more"と言われたのを思い出してしまった。
フー、スモールフェイセズ、フリーと掛かってビートルズは全くなし、ストーンズは「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」が少し掛かっていた。ビートルズやストーンズは権利の問題なんかもあるのだろうが、当時のイギリスの若者たちが親に隠れて必死に聞いて熱狂していた曲を耳にすることができたのが良かった。でもあれって掛かってた曲がすべてリアルタイムじゃない気がする。多分に監督の好みで入れているのではないだろうか。
ジミヘン、モータウン、ビーチボーイズにダスティ・スプリングフィールドと連なるが、やはり新鮮で驚愕させられたのはタートルズの「エレノア」だろう。劇中に効果的に使われていて非常に印象に残った。当時のイギリスのヒットチャート1位らしい。日本ではタートルズというと「ハッピートゥギャザー」くらいしか知られていなかったと思うが。
しかし何と言ってもこの映画ではキンクスが最高だ。一番ロックンロールバンドらしかった頃で他のバンドと比べても抜きん出ている。この後はイギリスの日常生活をウィット且つシニカルに唄うレイ・ディヴィスの個性満載のバンドに変貌して行ったが。そこで「皆さんキンクスを聴いてください!」とお店の宣伝をしておかないと。キンクスいっぱいあるよ!


3/2/10track back

日本のロックの現状を見ると地上波のテレビに趣味的且つ先鋭的な音楽番組が全くないんだね。今に始まったことではないが、ジャニーズ系が席巻している状態が続いている。毒があって危ないバンドなんて観れないから何か面白くないんだな。まあそんなバンドが出たらスポンサーが付かないから地上波のテレビ局は二の足を踏むだろうけど。
日本ではロックンロールで名声と大金を手にするなんてことはあり得ないのか。ストーンズやU2,それにボン・ジョビのように。ロックンロール文化の成熟度といったら英米に比べたら日本は子供みたいなもんだろうから、せいぜい昨年の紅白歌合戦に矢沢永吉が出て大騒ぎするくらいが関の山かな(私は観てないが・・・)。まあ矢沢永吉が本当のロックンローラーかは別にして。
CS放送の音楽専門チャンネルのスペースシャワーTVやMTVでは、日本の地上波には出ていないがそこそこCDを売ってライヴハウスの観客動員数のある様々なバンドのPVが流れている。夏フェスになるとこういうバンドがこぞって出演し大観客を集めるのだから面白い。こうやって日本のロックは一緒くたにならなくて細分化している。一方で地上波に出ている少数のロックバンドもあれば、他方でCS放送とライヴハウスとフェスに出ている多数のロックバンドがある。
イギリスのように様々なバンドが一緒くたになってしのぎを削るという風になると、日本のロックンロール文化の成熟度も上がると思うんだが。日本でもビートルズのリアルタイム世代が60代になっている現状を考えれば、メディア側も垣根を取っ払ってどんどん新しいバンドを紹介してもらいたい。各家庭の茶の間で受け入れられる素地はあると思う。といいながら今は「ゆらゆら帝国」と「キノコホテル」を愛聴しています。お店では売りませんが(笑)。


4/10/10track back

ブルースやR&B等の黒人音楽のレーベルとして有名だったチェス・レコードの創立から終焉までを描いたアメリカ映画、「キャデラック・レコード」のDVDが出たので早速レンタル屋から借りて来て観た。2008年の制作で日本では確か昨年都内の数館で上映されたはずだ。地方都市に住む身としてはなかなか東京まで観に行けるはずもなく、DVD化されるのをじっと待つしかなかった。
ポーランド移民のレンとフィルのチェス兄弟がシカゴの黒人街でライヴハウスを始め、そこに集まる黒人たちのブルースへの熱狂に商機を見いだしレコードを出そうとチェスレーベルを立ち上げる。50年代のアメリカでは黒人音楽が一般のラジオに掛かることはなく、大多数の白人は黒人音楽を耳にする機会は全くなかったのだから。レンは自分のライヴハウスで演奏していたマディ・ウォータースをレコードで売ろうと考える。なぜか映画ではチェス兄弟のフィルは出て来なくて、レンとマディとの関係とその周りの人間模様で進行して行く。
白人であってもWASPからすると差別される側にあったポーランド人のレンがなぜ黒人音楽に興味を持ったかについては詳しく描かれてはないが、当時のアメリカに於けるポーランド人の社会的地位なんかも黒人に共感しざるを得なかったのではないかと想像される。マディはミシシッピーの綿花畑で唄っていたスタイルをそのままシカゴに持ち込むが、シカゴのような都会でのアコースティック・ギター演奏は騒音で音がかき消されて聴衆に訴えることができない。そうこうしてギターをエレクトリックにし、ギターが弾けて歌が唄える黒人はスーパースターになって行くのである。
映画のタイトルの「キャデラック・レコード」とは、レコードがヒットするとギャラの代わりにレンがクルマのキャデラックをマディに与えたことから来ている。レンはブルースのレコードを売るためにはラジオのDJを金で買収することも平気でする。このように何が何でも売ってやろうとあらゆる手を尽くす。レンとマディが公私ともに親しく付き合い一緒になってチェス・レコードを引っ張って行くのである。マディの女好きやリトル・ウォーターとの関係も描かれているし、ハウリング・ウルフ、チャック・ベリーも登場してくる。ビヨンセがエタ・ジェームス役で劇中で本当に唄っているのは感動ものだ。
ローリング・ストーンズがチェス・レコードを訪ねて来て、マディに「俺たちはあなたのローリング・ストーンからグループ名を付けました」とミックが言う場面もある。チェス・レコードがヒットを出せなくなって行き詰まりレンは会社を清算する。その直後レンは急死する。60年代後半にマディがイギリスのバンドのショウに招かれて、ロンドンのヒースロー空港で大歓迎される象徴的場面で映画は終わる。
確かにチェス・レコードがなかったら今のようなロックンロールはなかったかもしれない。レン・チェスは金儲けのためにチェス・レコードを起こしたのかもしれないが、彼の熱意と努力のお陰でビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルも誕生し得たのだと思うと感慨深い。


7/30/10track back

今頃になってサッカーワールドカップの話題で恐縮ですが6月27日の南ア現地時間に行われたドイツ対イングランドの試合で、ミック・ジャガーがスタンドにいるのがテレビ中継で映っていたのに気付いた方がどのくらいおられるだろうか。試合はドイツの疑惑のゴール等がありましたが4対1でドイツが圧勝しました。ミックもイギリス人だなー、サッカーが好きなんだと思いました。ロッド・スチュアートもスタンドのどこかにいたのかも知れないが(笑)。
サッカーって人種や体格、肌の色に関係なく誰にでも公平にチャンスが与えられるスポーツとして世界中に人気があるようで(実際は欧州リーグで活躍している選手がいないと勝てない?)、FIFA(国際サッカー連盟)が仕切るワールドカッブの中継はオリンピック以上の視聴率を稼ぎ出しているらしい。日本もこの流れに巻き込まれて日本チームが予想外に勝ち進んだときの国内での盛り上がり方は凄かった。まあ高い中継料を払っている民放各社が視聴率稼ぎで煽ったということもあるが。
冷静に日本チームの一次リーグ突破を見てみると、本田圭祐の好調が得点に結び付いたからに尽きると思う。一次リーグの日本チームの総得点4のうち3は本田によるものと断言出来る。岡田監督は第一戦のカメルーンに予想外に勝ってから一度も先発メンバーを替えていない。本田のトップ投入が功を奏してから怖くて変更なんかできなかったのだ。それで何とか一次リーグを2位で潜り抜けた。準々決勝でのパラグアイとのPK戦で日本はしくじると思ったね。守りのサッカーやってるんだから選手は萎縮するよ。
さて岡田元監督批判はこのくらいにしてミック・ジャガーの話しに戻ろう(何か取り留めないが・・・)。2008年のストーンズのニューヨークビーコン・シアターでのライヴ"Shine A Light"のDVDを観ると、クリントン元大統領やヒラリー国務長官、ブレジンスキー元補佐官など米政界の大物達も来ていて、やあ日本なんかと違うなあロックの社会的認知度が高いと思わざるを得ない。ストーンズはセレブだから格が違うと言ってしまえばそれまでだ。ヒラリーは青春時代はストーンズとビートルズだったと公言しているし、ロックは単なるガキの喧しい音楽から大人の鑑賞に堪えうる音楽になって来ているんだと思わざるを得ない。やはりストーンズのように60年代からずっと今でも現役で活躍しているバンドやミュージシャンがたくさんいるからに他ならないのだろう。


9/23/10track back

大分経ってしまいましたが先月初め(8月3日)、音楽評論家であり映画評論家でもあった今野雄二さんが自殺で亡くなりました。マスコミで接するだけの私たちにとって氏に何があったのか窺い知る由もないのですが自殺は衝撃的なニュースでした。とっさに思い出したのは昨年の加藤和彦さんの自殺でした(昨年の10月16日)。マスコミで今野さんと加藤さんの仲が良かったのを知っていたからです。ミュージシャンと評論家に一体何があったんだろうかと。
今野雄二さんには正直いろいろ教えて貰いました。ディヴィット・ボウイにロキシー・ミュージック、トーキング・ヘッズにディヴィット・バーンと、氏の先見的なヒップやファッド(ファッションになる前のもの)に対する嗅覚に教えられ憧れたものです。映画でもブライアン・ディパルマやディヴィット・リンチに対する思い入れは相当なものがありました。氏に影響されて映画を見た者の一人でした。
加藤和彦さんは日本のロックのパイオニアでフォーク・クルセダースの時はまさかロックに転身するとは想像だにしませんでしたが、サディスティック・ミカ・バンドでイギリスに渡りロキシー・ミュージックの前座でイギリスツアーを行いました。まだキャロルが出て来る前のことです。デビューアルバムの「黒船」を今になって思うとあんなにいろんな音楽を詰めたアルバムは当時なかったはずだ。ロックといってもアンテナを世界中に張り巡らせていた。
ヒップとファッドで共通項のあったお二人だが60代になって年を取って行くことはどういうことだったんだろう。加藤和彦さんはアルフィーの坂口幸之助とユニットを組んで活躍しようとしていたし、今野雄二さんは近年音楽よりも映画に評論の主軸を移しつつありました。マスコミは「才能の枯渇」「老いへの恐れ」とか垂れ流していますが、私たち観客にはお二人の内面には想像することしか立ち入ることはできません。遅きに帰しますがただただご冥福を祈るより他にありません。


12/1/10track back

ビートルズやローリング・ストーンズと同じ60年代にアメリカで特に白人のティーンエイジャー層に圧倒的な人気を博したディヴ・クラーク・ファイヴ(以下DC5とする)について語ってみよう。ドラマーのディヴ・クラークが率いる5人組だが、とにかく全員がハンサムな青年で甘いマスクに白いタートルシャツにスーツでビシッと決めていていかにも女の子にモテそうなバンドだった。ところが彼らが演奏する楽曲は甘いティーンエイージャー向けのポップソングではなくどす黒いR&Bのロックンロールだったのだからこのギャプは面白い。バンドの構成も当時としては珍しくギターにサックスにオルガンだった。特にサックスを入れたのは当時のロックバンドにはないアイデアだった。
オルガンのマイク・スミスがリード・ボーカルでプレスリー以前の黒人グループのR&Bのカヴァーを黒人のように唄った。今でいうとBawdiesのRoyのようだというと分かり易いかもしれない。ただサウンドは当時では破格の爆音でこんなサウンドは他に類を見なかった。アメリカの女の子達は自分たちの足下にある黒人音楽なんぞ聴いたことがなかったので、DC5の演奏する黒人音楽に全く新しい音楽のように酔い痴れイギリスから来たハンサムな青年達に熱狂した。当時のアメリカではビートルズやストーンズを遥かに超える人気があって、機体にDC5と描かれた専用機でアメリカ中を飛び回って全米ツアーを行った。DC5が本国イギリスよりアメリカで圧倒的に人気があったのは、アルバムが次から次へとアメリカでリリースされていた事実からも分かる。
ところがこのようにアメリカで圧倒的な人気を誇ったDC5もロックがサイケデリック、コンセプト・アルバムへと移って行く中で失速してしまう。一時はサイケデリック・サウンドに挑戦したりしたが後の祭りだった。70年代に入り鳴かず飛ばずの最中に解散してしまう。解散後はレコーディングの権利をリーダーのディヴ・クラークが一人で掌握管理して、その後のDC5ビジネスを展開して行っている。商売上手といえば商売上手なんだが、言い換えれば独り占めしてしまった。他のメンバーはどう考えていたんだろうか。ディヴ・クラークはバンドを止めた後はずっとDC5の権利で食っているという訳だ。従って未だにDC5の映像はDVD化されていないし、アメリカでリリースしたアルバムのCD化もされていない。CDは数年前にコンピレーション・アルバムが出ただけである。
昨年ボーカルのマイク・スミスが亡くなったと知った。まだ66才だった。あんまり音楽マスコミでも話題にならなかったが、DC5の'Do You Love Me' 'Everybody Knows' 'Because'に熱中した自分には衝撃的で悲しい出来事だった。DC5が人気絶頂だった頃に思いを馳せ密かに冥福を祈りました。


1/3/11track back

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。と決まり文句の挨拶をしたがいいが、今年はどうなることやらさっぱり見通しが立ちません。あんまり期待しないで自分たちのやれることをきちっとやって行くしかないとは思っていますが。
昨年はジョン・レノン生誕70年を記念してリマスター盤や未発表音源の発売で、何年に一回は必ず巡って来るビートルズ・プロモーションで盛り上がりました。次はポール・マッカートニーかと考えると次から次へとイベントを出せるビートルズ産業は当分食いっぱぐれはないなと、版権を持っている人々、4人のメンバーの現夫人や未亡人や子供達はいいなと下世話な事を考えてしまいます。
大晦日の恒例のNHKの紅白歌合戦を見ていたらフランプール、トキオ、ポルノグラフティそしてラルク・アンシェル等のバンドが出演していた。でも彼らの音楽ってロックじゃないのね。格好はロックでも音楽は歌謡曲で薄められていて、長年ロックを聴いて来た俺たちには心に響くもの訴えるものがない。つまり黒人音楽に対する憧憬が全くない。ここがNHKが全国民向けに流せると判断する基準なんだろう。
病み上がりの桑田圭祐がゲストで出演して新曲まで披露していたが、彼の場合歌詞が少し卑猥で曲が猥雑なところがロックと言えばロックと言える。昨年の矢沢永吉の出演のように紅白歌合戦もくだけて来たところもあるのだから、夏フェス常連のバンドがもう少し出るようになれば日本のメイン・ストリームも変わって来るのじゃないかと、今後のNHKの英断に期待したいところだが土台無理な話しか。初夢だな。ジャニーズやエイベックス、ホリプロのタレントばかりじゃ駄目だよ。
あと年末は昨年の3月に突然解散したゆらゆら帝国のライヴDVDを観て過ごした。昨年の11月と12月に連続して発売されたものだ。1997年から2009年までの渋谷リキッド・ルームや野音のライヴで、ライヴに行きたくても行けなかった自分にとっては涙ものの貴重映像だった。エフェクターを駆使して何とも言えない独特の世界を醸し出していた。ずっとスタイルが一貫しているのも良い。やりたいことはすべてやり切った。最後のアルバム「空洞」以降これを超えるものは作れない、同じことはやりたくないと解散してしまった。潔いと言ってしまえばそれまでだが、日本が生んだ偉大なバンドがなくなって本当に惜しいし悲しい。


3/29/11track back

3月11日の午後2時46分、そう三陸沖を震源とする東日本大震災が起こった時です、実を言うと私は機上の人で今回の地震を直接身体で体験していません。海外から成田空港に向かっている帰国便の中でした。私の乗った飛行機は午後3時15分頃の成田着の予定で秋田の上空にいたのですが、突然東日本の大地震で成田空港が閉鎖されて着陸出来ないと機長にアナウンスされて、それまで気楽に飲み食いしていた乗客はパニックまでには至らなかったが俄に騒然としました。羽田もダメで着陸出来る飛行場を探しているが仙台空港も津波が押し寄せて壊滅状態だと聞かされて、今回の大地震の被害の大きさの一旦を知らされました。
着陸出来る空港を探して秋田の上空を一時間以上旋回している内に燃料も残り少なくなってきて、急遽被害の及んでいない北海道の新千歳空港に着陸することになりました。当初は関西空港にでも行くのかとも思っていましたが燃料が本当に少なくなっていたのだろう。とにもかくも緊急避難で札幌に一泊することになってしまいました。航空会社の手配したホテルに着いたのが夜の11時過ぎで、携帯は繋がらないわでNTTの固定電話でやっと家の者に無事を伝えて家の被害状況を確認しました。幸い家の被害はほとんどなかったのですが、ホテルのテレビで次々と映し出される被害地の悲惨な有様に言葉を失ってしまいました。
翌日不幸中の幸いで札幌見物ができるなどと喜んでいる場合ではなく、昼に札幌ラーメンを食べると直ぐに新千歳空港に向かいました。前日の国際便の退避着陸の乗客の振り替えで混み合っているカウンターで夕方の羽田便の席を確保して、灯りのほとんど消えた沿線をガラガラの電車に乗ってやっとの思いで家に戻りました。
地震と津波の被害に遭われた東北地方、福島、宮城、岩手それに茨城の人たちに比べると自分たちは申し訳ないくらい軽微な被害でした。福島原発の放射能漏れの恐れは依然として続いています。天災に続いてこれは間違いなく人災だと思います。東日本大震災に遭われた方々、お見舞いを申し上げるとともに負けないで下さい。私たちも自分が出来ることを一つづつ行動に移して行きたいと思います。


5/8/11track back

東日本大震災の被災者の厳しい避難所生活と福島第一原発のメルトダウン阻止の必死の努力の実態は毎日マスコミによって克明に報道され、福島第一原発の破壊による放射能洩れは空へ海へと広がりこの島に生活する私たちを日々脅かし不安に陥れています。今回の東日本大地震のよる福島第一原発の壊滅は「想定外」の一言で済まされるものではなく、政府・官僚・財界・マスコミがこの間一体となって押し進めて来た「原発安全神話」の崩壊以外の何ものでもありません。
今になって「政府の初期対応がまずい」「政府は原発の実態を正直に発表していない」と非難の大合唱ばかりでは物事の本質を摺り替えているだけです。更に「管首相ではダメだ」に至っては、震災の対応を巡って低支持率の管首相にすべての責任を押し付ける総選挙が怖い民主党議員の醜い勢力争いを見せつけられているだけです。
今回の福島第一原発の壊滅は、技術を盲信して自然の脅威を軽んじた日本の高度産業社会の一つの行き着いたところだったのでなかったのだろうか。ロックシンガーの斉藤和義が昨年のヒット曲の「ずっと好きだった」の替え歌「ずっと嘘だった」の反原発ソングをユーチューブで公開して話題になっている。これは歌詞も中々良いので試聴をお奨めしたい。本人はレコード会社との関係もありすぐ削除したらしいが、コビーされて次々とアップロードされ凄いアクセス数になっている。
元々「ずっと好きだった」は、イントロがチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」でAメロがビートルズの「ゲット・バック」の久々の洋楽を血肉にした日本語ロックだった。これが反原発ソングに替わったのだからこんな痛快なことはない。ロックは大衆音楽として幅広く聴かれるのだから、こういうかたちで主張し批判することも大いにありだと思う。「ソング・フォー・・・」というかたちの応援ソングはいろいろ出ているが、別にロックだからということでなくても唄で政府・官僚・大企業・マスコミを批判して大衆を覚醒させる一助とするのは大衆演芸の役割として歴史的にずっとやられて来たことだ。斉藤和義に続く人が出てくるのを期待したい。


6/26/11track back

いま人気絶頂の米国の女性シンガーレディ・ガガを見ているとプラズマティックスのウェンディ・O・ウィリアムズを思い出す。「え!ウェンディ・O・ウィリアムズって誰」と若い人には言われそうだが、80年代初めにニューヨークから出て来たバンドのリード・シンガーのことだ。両者の間には25年以上の時間差があるが、シーンに躍り出るための方法論が似通っていると思う。簡単に言うとエスタブリッシュメントへの反逆だ。元ストリッパーのウェンディはほとんど裸同然の格好でパンク・ロックを演っていた。歌詞は明からさまに既成の権威・規則・常識への反旗の翻しで、ステージ上では自動車を爆破したりテレビをハンマーで叩き壊したり、はたまたエレクトリック・ギターをチェーン・ソーで切断する荒技を実演していた。ウェンディにとってクルマやテレビそしてギターは既成権力の象徴になるらしいが、その本人がエレクトリック・ギター演奏で唄っているのは皮肉ではあったが。
一方の現在のガガは奇抜なメイク、ファッションで胸をだしたり尻を出した姿を大衆の前に晒したり、ステージやPVでは露出度の多い衣装で唄ったり踊ったりしている。ストリッパー出身というのもウェンディと同じだし、唄も自己主張の強い反権力的なもので女のセックスを売り物にしている点も然りだ。ただウェンディの場合は利己主義になって同性のファンにはそっぽを向かれ、男性のファンも一部の熱狂的な者を除いては大衆的な支持にはならなかった。
ウェンディが出てくるのが早かった、時代が追い付いていなかったのだと言うつもりはない。ウェンディは正直にやり過ぎちゃったのだ。キリスト教倫理観や中産階級意識から大きくはみ出てしまった。だから彼女は指示されなかった。一方ガガは奇抜なファッションを真似するリトル・モンスターというファン層を生み出し世界中にCDを売りまくった結果、本人は社会的にも発言し行動するポップ・アイコンへと上り詰めたのだ。その違いは何だったのかと問われると、それは自己抑制だと答えるしかない。惜しむらくはウェンディには時代と折り合いを付ける自己抑制する理性がなかった。無軌道に突っ走ってしまったのだ。時代に先駆けていたのに残念な事だった。レディ・ガガへのマスコミの熱狂を冷ややかな目で見ながら、1998年に亡くなった彼女のことを想い哀悼の意を表しようと思う。


8/25/11track back

斉藤和義が先月末三日間行われたフジロックに出演して「ずっと好きだった」の反原発の替え歌「ずっと嘘だった」を唄ったという。レコード会社、メディアに無視されても敢えて姿勢を貫く斉藤和義に拍手を送りたい。3.11の東日本大震災後被災地に入って炊き出しをやったり支援活動をする芸能人、ミュージシャンは後を絶たなかったが、ここのところパッタリと話しを聞かなくなった。未曾有の大災害も半年近く経つと過去の出来事として忘れ去られてしまうのか?それともあの一時盛況だった支援活動も彼らの売名行為の一環だったのか?
福島第一原発は未だに放射能に汚染された水を垂れ流し汚染された蒸気を空に撒き散らしているし、原発周辺の住民はこの先何十年も家には戻れないという事実を、更に原爆を2回落とされ国民を塗炭の苦しみに遭わされ放射能の怖さを一番知っている国が原発を推進して来たという事実を忘れてはならない。メディアで知られた作家や著名人が原発の恐ろしさをもっと警鐘して来るべきだったといっても、巨大メディア、政治、財界そして官僚が一体になって長い間洗脳され続けて来た私達は「やっぱり騙されたんだ!」と今頃気付いても遅きに過ぎた。
俳優の山本太郎が俳優活動を賭けた反原発の活動で名を挙げているが、ミュージシャンで反原発を掲げてコンサート活動をしようなんて人が見当たらない。1979年4月にアメリカではスリーマイル島の原発事故を受けて「ノー・ニュークス」という反原発のコンサートを、ジャクソン・ブラウンやグラハム・ナッシュ等の主催でニューヨークのマジソン・スクウェア・ガーデンで盛大に行っている。ブルース・スプリングスティーンが出演していることで有名だ。日本では近年夏フェスが盛んで色んなミュージシャンが一同に会するが、反原発となるとレコード会社や企業とのしがらみがあってなのか開催の声が洩れ伝わって来ない。脱原発、反原発といったってこれが日本の現実なんだろう。


11/24/11track back

今年も後36日余りと残り少なくなりましたが12月8日には日本武道館で10回目の「ジョン・レノン・スーパーライヴ」が行われることもあり、主催者である今年78歳になる小野洋子さんのミュージシャンとしての側面を語りたいと思います。ジョン・レノンの妻、前衛芸術家、平和活動家そして女権拡張運動家とか色々と彼女を呼ぶ名称はありますが、レコードを出したりコンサートを行っている割には彼女をミュージシャンとして扱う論調には余り出くわしません。
ジョン・レノンの最後のアルバムとなった「ダブル・ファンタジー」にはレノンの曲と互い違いに洋子さんの曲が入ってるのだが、呻き声や叫び声が入っていて日活ロマンポルノのようだとビートルズ・ファンには顰蹙を買って洋子さんの曲は飛ばして聴くというのが通例になっているくらいだ。ジョン・レノンは洋子さんのミュージシャンとしての素質を評価していたようだが、いかんせん過激な芸術家・運動家としてのイメージが強い世間の評価は洋子さんに冷たかった。70年代初めから洋子さんはソロアルバム出し続けたがそれらがほとんど売れなかった。
映像で残っているジョン・レノンのトロントでのコンサート・ステージではただ叫んでいただけの小野洋子さんは、その後自ら作詞・作曲し腕利きのミュージシャンをバックにちゃんと唄っていた事実が余り知られていない嫌いがあります。可愛らしい声で結構上手いのです。日本人にしては演歌的気質は全くなくジャズやラグタイムも難なくこなしている。勿論ロックは申し分ない。歌詞は過激で言いたい放題である。
小野洋子さんはつくづく世間の規範や制約に囚われない、言いたい事を言い、やりたい事をやるロックな人だと思う。ジョン・レノンが惹かれたのもむべなるかなと言える。昨年はプラスティック・オノ・バンド名義で「ビトウィーン・マイヘッド・アンド・ザスカイ」を出して相変わらずのマイペースな活動をしている。今年は長年の平和活動で広島賞を受賞しているし、3.11の東北大震災の救済活動も継続している。 世界で一番有名な日本人、小野洋子さんが今後も益々ロックする事を願って止みません。